引きこもりを否定されると心が引きこもる
この一週間、川崎殺傷事件のニュースが大きく報道されていた。
その番組内で多く目にするキーワードが「引きこもり」。
最近は40代、50代以上の中高年の引きこもりが増え、それを高齢者が支えているのが問題だと。
「引きこもりとは家族以外の人とほとんど関わらず、必要最低限しか外に出ず家に閉じ籠りがちな人の事らしいですね」
ニュースキャスターが言った。
そう話す彼は引きこもりとは無縁のキラキラした世界にいる人間だ。
これらのニュースで「引きこもり」という言葉を聞く度、私は胸がザワザワする。
いつも目を背けている現実、引きこもりな自分を全面否定されているような気がするから。
案の定、実母から電話があり言われた。
「ほら、やっぱり外に出なきゃダメでしょ?あんな事件を起こす人になってからでは遅いのよ?」
私は言い訳するように言った。
「私は夫の両親の家にも頻繁に行っているし、パートに行く日もあるわ」
すると母は、
「そんなの社会との関わりと言えないでしょう?パートだって週1日?二週間に1回?そんなの仕事じゃないじゃない」
……どうしてこんな馬鹿にした言い方をするのだろう。
だが図星を指され何も言い返せない。
そもそも「引きこもり」なんて言葉はいつから使うようになったのだろう。「家にいます」と聞くより、「引きこもり」や「ニート」と聞く方がずっと印象が悪い。
そして何もせずに家にいる事が悪いと周囲が責めれば責める程、本人は引き籠りたくなる。私がそうだ。
私だってこの状態が自慢出来る生き方でないのは分かっている。
だが母に経済的に迷惑をかけている訳でもなく、私と夫が納得しているのであればどんな生き方であれ自由ではないか。
だが心のどこかで、「そんな人間にする為に育てた訳じゃない」と言われるのが怖く、育ててもらった恩があるのだから言い返してはいけないと思う自分がいる。
最近思う。
今まで私を育てる為にかかった費用を母に返済すれば解放されるのだろうかと。
そんな事無理だと分かっているけれど。
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