優しい花
昔はガーデニングに全く興味がなかった。
どちらかといえば嫌いな方で、害虫やカビ、土の汚れなど、わざわざ不衛生なものを発生させたくない……そんな気持ちだった。
庭なんていらない。家の周辺はコンクリートで手間が無いのが一番。
それがいつの頃だろう。
花を育てるようになった。
意識した事はなかったが、今から思えば私が鬱になり引きこもるようになった頃からだったと思う。
いや、もっとも鬱が酷い時には花も放置状態だったような気もするが、とにかく引きこもり生活が始まってから、その小さな花壇は時々花を咲かせるようになった。
家から出るのが嫌で、かといって家の中にいても心が重くて息苦しい。
そんな私が、花の手入れをしている時には何も考えずに済んでいる事に気付いた。
春が近付いた時、涼しい秋が訪れた時、
「次はどんな花にしようか」
それを考えるのが楽しみになった。
組み合わせる花の色や大きさを考え、全体をイメージする。
成長したらどんな感じになるのかを他人のブログで観察したり、組み合わせを参考にさせてもらったりする。
肥料の種類や与え方、日の当り方、水をあげるペース、花がら摘み・・・花の種類ごとに調べ、毎日個々の花ごとにジッと観察する。
ガーデニングなんて適当に楽しめばいいものを、こんな事でも真剣なりすぎるのが私の欠点。
鬱の頃は特に、少しでも枯らしてしまったりすると必要以上に落ち込んだ。
逆にちょっとした事でとても元気に咲いてくれると、ホッとしたような気分になった。
本当に生き物なんだと実感した。
私の小さなガーデニングは細々と続き、今も春の花達が笑っている。
あんなに虫が嫌いだとか、不衛生で触りたくないとか文句を言っていた私だが、昨年の梅雨時にはビールを入れた紙コップ片手に、毎日雨の中でジーっとうずくまり、何十匹というナメクジを、ひたすら割り箸で捕獲し続けた。
今年もナメクジだろうがアブラムシだろうがどんと来いだ。
先日、花の手入れをしていると、近所の女性が前を通りかかった。
「いつも綺麗にしてるね」と珍しく声をかけてくれた。
「いえいえ、適当で……」と照れ半分、続けて何と答えていいか分からず私はスコップ片手に立ちつくした。
「ころりさんが植えている花、私好みだなーってずっと思ってたの」
「え?そうですか?嬉しいです」
「うん、何ていうか、優しくていいよね」
「あははっ、花ってホッとしますよね」と私は笑ったが、自分と同じように感じる人がいる、それがとても嬉しかった。
女性は立ち去り際、「私も同じ組み合わせで植えてみるわ。真似させてね」と笑顔で手を振った。
やはり花は優しい。
鬱の時も私を支えてくれた。
今もこうして人との関わりのきっかけとなってくれている。
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