節分祭
今日は自治会で節分祭が行われた。
近くの公民館を貸し切り、近所の親子達が集まる。
毎年行われている訳ではなく、昨年も話が持ち上がっていたようだが実行に至らず、「今年こそは日曜日だからやりましょう」と役員達が決めたらしい。
これこそ子の為の行事。
子なし主婦の欠席を許して欲しい。
そう思っていたが、出欠を確認に来た班長に、「中井さんも無理して出席してくれるらしいから、ころりさんも」と言われた。
その中井さんとは近所の主婦だ。
私は知らなかったが、少し前に手術をしたらしい。「それでも無理して」と聞くと、私は何も言えなくなった。
こういう行事への参加が決まると、その日がくるまで憂鬱で仕方がない。
当日まで忘れようとしてもずっと気が重かった。
私は役員でもないのだから、黙って参加するだけでいい。
そう自分に言い聞かせ、公民館に向かった。
すると既に大勢の家族連れが来ており、それぞれが親し気に話している。
皆普段から付き合いがあるので慣れた様子だ。
私は久々に一人きりの居心地の悪さを感じた。
最近は徐々に慣れていたはず。
だが今日は特に出来上がった輪を感じ、私はどこに居ればいいのかさえも分からなかった。
何とか60代の主婦達がいる場所に近寄り、そっと隅に紛れるようにして座った。
落ち着いて周囲を見渡すと、40代~50代の見知った顔は一角に集まっていた。
彼女達の子は成長し、私と同じように夫も子も一緒でない人がたくさんいたが、やはり昔からのママ友同士で肩を寄せ会話に夢中になっていた。
相変わらずだ。
何も変わらない。
若い頃には、いつか皆の子が成長すれば状況は変わるかもしれないと期待したが、私はいつまで経っても一人だ。
私は先日の伯母の言葉を思い出した。(→老後の人間関係)
人間関係は死ぬまで続く。
場所が変わってもこんな気持ちはこれからも永遠に続くのだと思うとウンザリする。
誰とも関わらなくていい場所に行きたい。
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