孝行のしたい時分に親はなし
先日検診に行き、とりあえず経過観察という結果でホッとして帰宅する途中、「私は何て冷たい人間なんだろう」と思えてきた。
親を想ったのだ。
なぜだろう?
理由はうまく説明出来ない。
ただ、ホッとすると同時に、心が優しくなれた。
いつもの自分は何て肩ひじを張って生きているのだろうと感じた。
こうでなければならない。
実母にそんな考え方を押し付けられ、必死にそれから逃れようと葛藤する。
違う違う!と母に反発している。
だが、それは正しい事なのだろうか?
結局私も母と同じで、「こうでなければならない」と自分なりの考え方を母に押し付けているのでは?
母と考え方が違っても、それでも近くで寄り添う。
多分それが理想。
今の私は逃げたいばかりだ。
母からの電話にビクビクし、実家に行く道中は吐き気で倒れそうになる。
だけど思う。
このままいつか母がこの世からいなくなれば、私の喪失感は凄いだろうと。
憎いけれど依存している。
捨てたいけれど大切なのだ。
検診の後、今健康でいさせてもらえる有難さを感じたのかもしれない。
私の不安な心が、年老いた親の不安を想像させたのかもしれない。
つべこべ考えず、親孝行しろ、このままだと後悔するよ、そう私の心が言っていた。
多分それが理想。
今の私は逃げたいばかりだ。
母からの電話にビクビクし、実家に行く道中は吐き気で倒れそうになる。
だけど思う。
このままいつか母がこの世からいなくなれば、私の喪失感は凄いだろうと。
憎いけれど依存している。
捨てたいけれど大切なのだ。
検診の後、今健康でいさせてもらえる有難さを感じたのかもしれない。
私の不安な心が、年老いた親の不安を想像させたのかもしれない。
つべこべ考えず、親孝行しろ、このままだと後悔するよ、そう私の心が言っていた。
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