逝く順番
先日テレビを見ていて、印象的な言葉があった。
「死ぬことが怖くなくなる」
その番組に登場した夫婦の夫が亡くなったのだが、遺された妻は先に夫が天国で待ってくれているから、妻は死ぬのが怖くなくなる――というような事を話していた。
なるほど。そういう考え方もあるのね。
と、私は改めて考え直した。
私は今まで漠然と、夫より先に死にたい、遺されたくない、と強く思っていた。
今でもそう願っている。
夫を一人きりでおくるなんて辛すぎる。
精神的に耐えられるかどうか分からないような状況の上、葬式や手続きを一人でしなければならないと思うと、絶対無理な気がする。
そしてその後の一人きりの人生。どれ程孤独なことか。老人ホームで誰一人会いに来る事もなく、一人で死を待つだけの自分の姿が目に浮かぶ。そしていよいよ自分も死を迎える時、一人でその苦しさを受け止めるしかない……と想像する。
この話を夫にすると、自分の方が長生きする前提で先の心配をするなんて、「幸せな人だな」と笑われるが、私は大真面目。
人の死なんていつどうなるか分からない。
明日にでも、夫や私に何かあってどちらか一人になる事もあり得るのだから。
それを想像する度に私は一人になる恐怖に耐えかねた。
「あなたが死んだら私もその日に死にたい」
いつもそんな言葉を繰り返していた。
だが先日そのテレビ番組で「夫が先に天国で待ってくれている」という言葉を聞き、考え方一つで随分気持ちも変わるものだな……と思った。
本当にそうなってしまった時、そんな考え方が出来る自信はないが、少なくとも今はそう思えたら幸せだな、と思っている。
もちろん自分が先に逝くのが理想だけど、そうならなかった時は「夫が先に見本を見せてくれた。夫も行った場所だから、私も行ける」そんな風に思えるように。
日本人の平均寿命で言えば、まだまだ折り返し地点だというのに、既にこんな事ばかりを考えている私。
こんな風だから今を幸せに生きられないのだろう。
明日にでも、夫や私に何かあってどちらか一人になる事もあり得るのだから。
それを想像する度に私は一人になる恐怖に耐えかねた。
「あなたが死んだら私もその日に死にたい」
いつもそんな言葉を繰り返していた。
だが先日そのテレビ番組で「夫が先に天国で待ってくれている」という言葉を聞き、考え方一つで随分気持ちも変わるものだな……と思った。
本当にそうなってしまった時、そんな考え方が出来る自信はないが、少なくとも今はそう思えたら幸せだな、と思っている。
もちろん自分が先に逝くのが理想だけど、そうならなかった時は「夫が先に見本を見せてくれた。夫も行った場所だから、私も行ける」そんな風に思えるように。
日本人の平均寿命で言えば、まだまだ折り返し地点だというのに、既にこんな事ばかりを考えている私。
こんな風だから今を幸せに生きられないのだろう。
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