号泣
昨日の夜、久々に録画していたドラマを観た。
ブランケット・キャッツ。
以前少し記事でも書いた事がある。→その記事はコチラ
良さそうなドラマだと思っていたが、最近体調があまり良くなく、なかなかゆっくりドラマを観る気になれなかった。
昨日も最初は気乗りしなかったのだが、観始めるとやはりこのドラマ、ツボにはまる。
どの回のストーリーも良くて、一度観始めると、次も次も、と気付けば最終話まで全て観てしまった。
親の介護問題で頭を悩まさる中、こんな風にドラマをゆっくり観ているなんて罪を感じる。
そんなゆとりがあるなら介護出来るでしょう?そんな風に言われそうだ。
だがドラマを観ている間はそんな事も忘れ、ストーリーに集中した。
その世界に私も入った。
6話と最終話にかけて、一つのお話だったのだが、富田靖子さん演じるたえ子にとても感情移入してしまった。
どこが共通しているという訳でもないのだが、幸せを感じられない、我慢ばかりの人生だと感じているところが似ているのかもしれない。
周囲の人がどんな良い人であっても、心を許せない、心から信用出来ない、頼れない、そんな所も分かる……と思いながら観ていた。
そんなたえ子は見ていて気持ちの良いものではなく、嫌いなタイプだと思ったが、まるで自分を映し出されているようで、最後にはなぜか私も号泣してしまった。
久々に深く泣いた。
そういえば最近泣いたのはいつだったのか……忘れてしまった。
以前はあれ程毎日泣いていたのに、最近はグッと涙を浮かべる事はあっても、ボロボロと涙をこぼして嗚咽する程泣くなんて無かった。
鬱が改善し、私はどこかで「もう泣いていてはいけない」「もう甘えられない」と自分に厳しくなっていた。
もっと生き生きと暮らしたい、暮らさなきゃと思いながらも焦るばかりで、本当の私は何も変わっていない。
ドラマの中で、
「人は守ってくれる人がいるかどうか、自分を必要としてくれる人がいるかどうかで生きていけるのかもしれない」というセリフがある。
まさに私がいつも思っている事。求めている事。
今の私にとってその存在は夫。
だが親の問題になると夫との関係は不確かなものになり、私は本当に守られているのか?必要とされているのか?と不安になる。
ドラマを観終わり、涙を出し切り、少しスッキリした。
明日からまた頑張ろう。私にはここしか居場所がないのだから。
久々に深く泣いた。
そういえば最近泣いたのはいつだったのか……忘れてしまった。
以前はあれ程毎日泣いていたのに、最近はグッと涙を浮かべる事はあっても、ボロボロと涙をこぼして嗚咽する程泣くなんて無かった。
鬱が改善し、私はどこかで「もう泣いていてはいけない」「もう甘えられない」と自分に厳しくなっていた。
もっと生き生きと暮らしたい、暮らさなきゃと思いながらも焦るばかりで、本当の私は何も変わっていない。
ドラマの中で、
「人は守ってくれる人がいるかどうか、自分を必要としてくれる人がいるかどうかで生きていけるのかもしれない」というセリフがある。
まさに私がいつも思っている事。求めている事。
今の私にとってその存在は夫。
だが親の問題になると夫との関係は不確かなものになり、私は本当に守られているのか?必要とされているのか?と不安になる。
ドラマを観終わり、涙を出し切り、少しスッキリした。
明日からまた頑張ろう。私にはここしか居場所がないのだから。
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