最初で最後
愛犬は私達に幸せを与えてくれた。
この子がいない人生は考えられない。
だがこのまま時間が経てば、いつか愛犬は私達より先にいなくなってしまう。
それを考えるだけで耐えられる自信がない。
今でさえ不安定な私の心が、どれ程壊れてしまうのか、想像するのも苦しい。
いっそ愛犬の後を追ってしまいたい衝動に駆られる。
以前から夫とそんな話を時々していた。
「いつかいなくなったらどうしよう?」
「辛いけど、新しい子を迎えればいいよ」夫はそう言っていた。
新しい犬や猫が来たからといって、今の子の代わりになれるとは思えないが、ペットロスになった人の話を聞くと、ほとんどの人が新しい子を迎える事で立ち直ると言っていた。
そうなのかもしれない。
何より、家の中で唯一の明るい存在の愛犬がいなくなれば、私達の生活は真っ暗だ。
今までと違い、自由に旅行に行けるし、夜遅くでも外食する事も出来る。だがどれを想像しても楽しそうに思えない。
どんな素敵な場所に行くより、どんな豪華な食事を食べるより、この狭い家の中で愛犬と一緒にリンゴを食べる方がどれ程楽しく幸せな事か。
そんな会話を夫と何度かした事があった為、私はもし愛犬がいつかいなくなれば、老後まであと一回は別の子を迎えると思っていた。
しかし先日、夫は言った。
「今の子が最初で最後にしよう。次の子はやめておこう」
それを聞いた時、物凄く喪失感に襲われた。今の愛犬がいなくなったら、その後は自分の死を待つだけの暮らしに思えた。
「どうして?以前はまた迎えればいいって言ってたでしょ?」
そう私が言うと、夫は最近気が変わったと言う。
それは年齢のせいかもしれないと言った。
今の愛犬の事は私達が全力で可愛がってきた。ドッグランに海や山、色んな場所に連れて行き、愛犬は天真爛漫に喜んでいた。どこに行くのも一緒だった。
「それは時間があったのと自分が若かったから。でも今は同じ事が出来ないと思う」と夫は言った。
「もし次の子を飼ってもただ一緒に暮らすだけになる。自分達は老いていくし、もし病気になれば?散歩に行けなくなる」
そんな暮らしの家に迎えてもらっても、その犬が可哀想だろうと夫は言った。
夫なりに、もし飼うのなら今の愛犬と同じかそれ以上に愛情を注ぎたいらしい。それが出来ないのなら我慢するべきだと言った。
「50歳以上になってペットを飼い始めるのは大変だよ。自分達には子供がいないから、体調に万が一の事があってもその子の世話を頼める人もいないから」
もちろん私もそれは重々分かっていたが、何とかなると思いたかった。
でも確かに夫の言う通り、それは無責任なのかもしれない。
それでもこの先愛犬がいなくなった時の事を想像すると、私は自分が壊れてしまいそうで不安で仕方がない。
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