余裕なし
今でも心療内科に通っている。
今服用している薬が本当に自分に必要なのかどうか分からなくなっているが、止める勇気もないし医師も薬を増やそうとも減らそうとも言わない為、ズルズルとなんとなく服用しているような状態だ。
元々SADの症状や不安感の為に服用し始めたが、以前の様に明らかな鬱症状がある訳ではないし、自分でもあの頃と比べれば今はまだまだ病気とは言えないのではないかと思う。
しかしその反面、手や声が震えたり、動悸が激しくなって焦る事がしばしばある為、それを考えると薬を服用する事がどこかお守り代わりになっている気もする。
と、こんな話を心療内科の医師に詳しく話せない。簡単には説明するのだが、心の内をさらけ出したり、まとまりのない迷いや相談といった事はしようと思えない。
医師は悪くなく、優しく穏やかで真面目な雰囲気だが、どこか「医師」という壁がある。
話し易かった以前の医師と比較してしまう。
そして、以前の医師はとにかく薬を多く出す医師だった。
多くというか、簡単に、という方が正しいのかもしれない。
私が服用していた抗鬱剤も、一応何日分と言ってくれるのだが、次に受診するのが予定より早くなり、前回の薬が多く残っていても気にせず追加でどんどん薬をくれていた為、いつの間にか家には薬の在庫が増えていくという状況だった。
それに慣れている私は、今の医師の薬の数量の正確さに戸惑う。
先日病院に行った時、「次回の予約は○○日です」と予約日を決めた。
そしてその予約の前日までの薬を、日数分ピッタリ処方されるようだった。
私はその「前日までピッタリ」というのが不安だった。当日事情で来られなかったらどうなるのだろう?
抗不安剤ならともかく、抗鬱剤は一日もサボる事なく服用する必要がある。もし来られなくなった時の為に、ある程度余分に処方して欲しかった。
それを医師に伝えると、医師は優しく微笑みながら
「いいですよ、では一日分多く出しておきます」と言った。
……私の感覚と違う。私は一週間分とかもっと余裕が欲しいのだが、その医師は黙る私を見て「あれ?一日分で足りないの?」という様な顔をしていた。
これが正しい医師なのだろうと思う。
むやみに薬を出し過ぎない。
だがこんな風に正確過ぎると自分も必ず予約日に病院に来なくてはならないという負担がある。
私は残りの薬の数とカレンダーを眺めながら、数に間違いがないか無くしていないか気になって仕方がない。
そこまでしてこの抗鬱剤、服用を続けるべきなのか迷っている。
先日病院に行った時、「次回の予約は○○日です」と予約日を決めた。
そしてその予約の前日までの薬を、日数分ピッタリ処方されるようだった。
私はその「前日までピッタリ」というのが不安だった。当日事情で来られなかったらどうなるのだろう?
抗不安剤ならともかく、抗鬱剤は一日もサボる事なく服用する必要がある。もし来られなくなった時の為に、ある程度余分に処方して欲しかった。
それを医師に伝えると、医師は優しく微笑みながら
「いいですよ、では一日分多く出しておきます」と言った。
……私の感覚と違う。私は一週間分とかもっと余裕が欲しいのだが、その医師は黙る私を見て「あれ?一日分で足りないの?」という様な顔をしていた。
これが正しい医師なのだろうと思う。
むやみに薬を出し過ぎない。
だがこんな風に正確過ぎると自分も必ず予約日に病院に来なくてはならないという負担がある。
私は残りの薬の数とカレンダーを眺めながら、数に間違いがないか無くしていないか気になって仕方がない。
そこまでしてこの抗鬱剤、服用を続けるべきなのか迷っている。
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