手紙
――前回の続き。
その手紙はまさに患者に宛てた「手紙」だった。
単なる報告事項のようなものではなく、なぜ突然閉院する事になったのか?その理由が手書きの文字で赤裸々に綴られていた。
医師もまた心を病んだ人であった。
子供の頃から悩み苦しみ、患者の診察をしていた期間もその苦しみは完全に消え去る事はなかった。だが患者がいる事で自分も救われていた。皆に支えられていた。
だが今の自分にはもうこれが限界である事。患者に対して申し訳なく言葉が見つからない事。
それらを包み隠さず個人的な内容まで正直に書かれていた。
私は前半を読み始めた時から涙が止まらなかった。
心が病んでいたと告白した先生。
分かっていたよ。感じていたよ。
でもだからこそ他の先生と違った。
こんな風に真っ正直にわざわざ患者に宛てて手紙を残すなんて、そんな先生だから疲れちゃうんじゃないの?患者一人一人に自分を重ね合わせ真剣になり過ぎて限界を超えてしまったんじゃないの?
手紙の後半には皆に向けての今後のメッセージが書かれていた。
頑張らない事。そのままの自分でいい事。
そして最後には転医する事に関しての相談窓口などが記されていた。
その患者宛ての「手紙」を読み終わり、私はしばらく泣いた。
なぜだろう?医師ともう会えないから?素直な手紙に胸を打たれたから?
ただ今までのあの医師との会話、出来事がグルグルと頭の中で思い出された。
何も言葉に出来ずにただ涙をためていた私に対し、目を合わさずに「うんうん」と言って微笑んでいた顔。
どの薬を試してもなかなか効果が出ず、「それでもまだまだ方法はあるから」と笑っていた顔。
時々話しながら恥ずかしそうに顔を赤らめ、でも必死に話す先生。
あの医師を思い出すと笑顔しかない。
だがそれも無理して頑張っていたのだろうか?
突然の閉院で困る患者は多いだろう。
無責任だと責める人もいて当然かもしれない。
だがあの医師を頼っていた人(私も含め)は、皆あの先生だから来ていた訳で、あの先生の弱さもひっくるめて全てあの医師だ。
私は前回、心療内科の事を書いた時、この医師の事を「こちら側の人」と表現したが、そういう人だから常に対面にいるのではなく、隣にいるような人だった。
アドバイスというよりは共感する、そういう人だった。
私は先に書いたように、心療内科の医師には過度な期待をしていないつもりだった。
だが無くしてしまった今、強く実感する。あの医師がどれほど大切な存在だったかを。
どうしても行き詰った時、あそこに行けばいい。逃げ場だった。
今後どうすればいいのだろう?
あの医師以上に有名で知識豊富な医師は数多くいる。
だが「こちら側の人」と感じさせてくれる医師と出会えるとは思えない。
隣に並んでくれるあの医師にもう一度会いたい。
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