抜け駆け
「ころりさんもどうぞ。もう他の方には渡しましたから」
週明けに派遣先に行くと、席につくなり隣に座る派遣女性、酒家さんに可愛く包装された小箱を渡された。
驚きのあまり一瞬声が出ない。
――チョコだった。
悩まされる2月14日。今年は日曜日だったし、古株パートからも、私達派遣社員は気を遣わなくていいと言ってもらえたので、私はその言葉のままに受け取っていた。
最近買い物に行くとバレンタインデーのチョコをよく目にする。...
皆に渡したがっていた酒家さんも、最後にはそれで納得したとばかり思っていた。
なのにどうして?「もう他の方には渡した」って?
モヤモヤとした気持ちだが追及する事も出来ずに「え?チョコはやめておこうって相談しませんでした?」と、私は言った。彼女からのチョコをすぐに喜んでは受け取れなかった。
「だっていつもころりさんにはお世話になってるから~。せめてものお礼ですよ」と、なぜか私に反して酒家さんは嬉しそうにニコニコしている。
いつも無視したり、時にはきつい態度をとるのに、どうしてこんな風にガラリと態度が変わるのだろう。
それならそれで、私にも一言声をかけてくれても良かったのでは?
だがその心の声が出ない。今更文句を言ったところでみっともないし、言う勇気もなかった。
「……じゃ、折角なので。ありがとうございます」と言って受け取った。
私達の様子を見ていたのか、少し離れた席のパート主婦が「そのチョコ、凄く美味しかったわ、ありがとう」と、酒家さんに声をかけた。
するとその周囲の他のパート達も口々に、「うんうん美味しかった」「可愛かったしね」と、お礼を言い始めた。
酒家さんは「こんな少しでそこまで言って頂いたら逆に申し訳ないです」と言いいながらも嬉しそう。
私はそのパート達との会話を聞いていてようやく知った。
酒家さんは、先週の金曜日は出勤日でなかったが、わざわざ皆にチョコを配る為だけに会社に来たらしい。男性だけでなく、女性全員に配った様子。
凄い。そこまでするなんて。
皆との距離を縮められる人と私の違いはこういう事なのか。
現に、このチョコ配りひとつで酒家さんは皆に好印象を受けている様に見えた。
正直なところ私は、
「ちょっとやり過ぎじゃない?」
「抜け駆けみたいで感じ悪いわ」
と思ったが、そう思うのは私だけという事か。派遣だから気を遣わなくていいと言っていた古株パートも、別段気にもしていないようだった。
何だか気が利かない私が更に浮き彫りになり、比較される人間がいる事が嫌になる。
外に出て他人と会話し、色々な事に気遣いしなければいけない事が嫌になる。
誰とも関わらずに働けたらいいのに。
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