ジャージの記憶|うつ病患者が犬を飼う
どうしても捨てられない古びたジャージが一着ある。
このジャージは私がこの10年近く、鬱の間はほぼ毎日来ていた服だ。
今売っているようなお洒落なジャージではない。昔の学生の体操着そのものという紺の生地に白線が入った上下セットのジャージだ。洗濯はしていたが、パジャマか、このジャージのどちらかのみを繰り返し着ていた気がする。それ以外の洋服を着る事が嫌だったのか、面倒だったのか覚えていないが、とにかくこのジャージを毎日着続けた。だからこのジャージを見ると、あの頃の自分が目の前に立っているような錯覚がある。
そしてなぜかこのジャージで一番思い出すのは、今飼っている愛犬が来た日の事。
愛犬は、夫がネットで見つけた。
私が泣いてばかりで本当に無気力状態だったのを、引きずるようにしてパソコンの前に連れていき「この犬を見て」と画面を指差した。
何とも言えない感情が久々に沸いた。可愛いとかそういうのとは少し違った。
でも会いたい、触れたいという感情があった。
夫はすぐに「この犬に会いに行こう」と、私をその店まで連れて行ってくれた。
その時に着ていたのも、もちろんこのジャージだ。髪は何年も美容院に行っておらず、伸び放題で前髪だけ時々ハサミで切っていた為まるで貞子のよう。顔はスッピンで洗っていたのかどうかさえ覚えていない。眉毛は伸び放題、唇もカサカサだっただろう。古びた靴下とボロボロのスニーカーを履いて、車に乗った。身なりなんて全く気にしない人になっていた。夫もそんな私と歩くのは恥ずかしかったかもしれないが、その頃は何も言わなかった。
その店に到着すると、あの写真通りの子が純粋な目をしてこちらを見ていた。
店員が寄って来て、「抱いてみますか?」と聞かれ、手を消毒し、初めてその子を手に包んだ。私の手の中で震えているその子が愛おしく、ポケットの中に入れてしまいたいぐらいだった。
だがその頃は既に、判断力や決断力がない私であった為、「飼いたい」という一言が言えなかった。
夫もどちらかというと私の為に飼うという意識であっただろうから、私に「どうする?」と聞くばかり。「飼いたければ連れて帰ろう」と言うけれど、決断は私にさせようとする。
その店を出て、近くの茶店で1時間ぐらい迷っただろうか。
「飼うと言えないけど、置いていくと後悔しそう」と私は言った。
その言葉で、夫は「じゃあ連れて帰ろう」と言い、その子を迎える事となった。
そして再度店に戻り、店員に伝えて書類を書いたり説明を受けたりした。
その店員は本当に心から犬好きだと伝わってくる感じの良い人であり、そっとその子を抱いて私に手渡した。
「これからこの人がお母さんだよ。良かったね、元気でね」
そう言われてその子を抱いた瞬間、なぜか急に自分の姿が恥ずかしくなった。
うまく説明出来ないが、我に返ったという感じだろうか。
ボサボサ頭で汚い顔をしたジャージ姿の中年女。
犬には何も分からないだろうが、もっと綺麗でちゃんとした女性として飼い主になってあげたかった。こんな人に飼われる仔犬が可哀想で、小汚い自分を恥じた。
その後は仔犬をダンボールのような箱に入れ、そのまま連れて帰るように指示された。
可哀想な気がしたがまだ赤ちゃんである為に、暗くて狭いこの空間の方が落ち着くのだと説明された。
なのでその箱に入ったままの状態で車に乗せた。
しかし、落ち着くと聞いていたはずなのに、まるでネズミが入っているかのようにカサカサ、コソコソと箱の中でずっと動いて全く落ち着く気配がない。1時間以上経ってもずっとガサガサとしているので、「家に着くまで開けないで下さいね」と言われていたダンボール箱の蓋を、我慢できずに開けてしまった。
すると今までガサガサと動いていた仔犬がピタリと止まり、キョトンとした顔でこちらを見ている。
「こっちに来る?」
思わず仔犬に聞いた。
返事はなかったが、ジーと目をそらさずに私を見つめるその目を見ていると、もう蓋を閉める事は出来なかった。そして私の膝に抱き抱えた。
すると、仔犬は私のジャージのポケットに、ポコッと頭を突っ込んで、スヤスヤと静かに眠り始めた。
初めて店で抱いた時、ポケットに入れてしまいたいと思ったが、本当に今そうなっていると思うと可笑しくて可愛くて愛おしかった。
* * * * * *
なのでこのジャージを見ると思い出す。
身なりを気にせずボロボロの姿だった自分。
そしてそんなボロボロのポケットに入ってきた仔犬。
多分このジャージはこれからも捨てられそうにない。
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