ツイッターでリアルな闘病生活を見て感じる事

私は全くツイートはしていないが、一応ツイッターに登録はしている。
なので毎日次々とお勧めのツイートがスマホに表示される。
ウザイのならアプリを消してしまえば良いのだが、案外のお勧めツイートに興味を持つ事もある。
先日もふと見たツイートがあり、闘病されている一人の女性のツイートだった。
病気の内容なんて読むだけで辛いだろうと思い、すぐにツイッターを閉じようとしたのだが…
最初に目に入った言葉がとても心に突き刺さり、目が離せなくなった。
それで最初のツイートに遡り、全て読み直した。
その女性はまだ30代のようだが余命宣告されたらしく、恐怖と不安と悲しみでどうにかなりそうな状態らしい。
だがそんな自分の事よりも何より心配なのが子供の事。
シングルマザーなのでこの世でたった一人子供を残していけないと書かれていた。
文章が上手く、的確に自分の感情を表現していた為、読めば読む程私はその内容に吸い込まれた。
そしてその闘病生活の壮絶な事といったら…
どれ程強い人間であっても耐え難いものだと思う。
何て神様は残酷なのだろうと思わずにいられない。
子供の為に生きなくてはと気丈な自分を維持していたその女性も、早く楽になりたいと思うようになっていった。
全くの他人の私でさえ、その文章を読んでいるだけで息苦しくなるぐらい切実な思いが伝わってきた。
そして最新のツイートまで読み進めていくと、天国に旅立たれた事が親族により報告されていた。
それを見た瞬間、涙が溢れた。
亡くなられた悲しさもあるが、やっと痛みと苦しみから解放されたね、という気持ち。
本当にあれ程頑張れるなんて凄い。
その方へのコメントを見ていると同じように闘病している方々が多く、そして皆が揃って自分の命のタイムリミットを冷静に受け止めている事にも驚いた。
もちろん本当は冷静ではないのだろうが、客観的に受け止めようとしたり、やはり感情的になったり。
私が子供の頃には、命に関わるような病気は本人には告知しない事が多い時代だった。
だがツイッターでの彼らの会話を見ていると、残された少ない日々をどう過ごすか、どのような形で看取ってもらうか、自分がいなくなった後の事を誰に頼むのか、全て自分で考え決断している。まだ若いのに。
私はいつか老後に一人でこの世を去るかもしれないと思うと不安しかなく、恐怖でどうにかなってしまいそうだが、それは老後とは限っていない。自分だっていつ突然そういう立場になるのか分からない。
つくづく今生きている事に感謝しなくてはと思う。
>Mさん
私も辞めたとしてもとりあえず言わずにおこうと思っているのですが…。色々会う度に質問攻めにされるので上手くかわせるか自信もあまりありません。
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