死に方を子に託す親。子は負担でしかない

母からの呼び出し
実家の母から話があるから来て欲しいと言われ、実家に行ってきた。
嫌な予感がした。
きっと気が重くなる話だろう。きっとそうだ。
そう思うと実家に行く前から早くも気分が重くなってきた。
そして実家に着いても、母はすぐに要件を言わない。
「どうなの?仕事は?何時間ぐらいやってるの?誰とも会話はないの?何時から暇なの?貯金は出来てるの?犬の散歩はいつ行くの?夜は何時に寝るの?近所付き合いは?あちらの実家には行ってる?」
まだまだ書ききれないぐらい私の生活について細かく質問責めにする。
それも真正面から聞くというより、「別に私はどうでもいいんだけどね」というような顔をしながら何気なく聞くのだ。
これが毎回鬱陶しい。
答えずに別の話題にすり替えても、必ずまたその数分後には「それで?」と話を戻される。
私はうんざりした気分で言った。
「何か話があるって言うから来たんだけど」
すると母が奥の部屋からパンフレットのようなものを持ってきて、私の前にポイッと放り投げた。
「それ、読んでおいて」
それは尊厳死の会だった。
尊厳死の会
母は何年も前からこの尊厳死の会に入っている。
母は、「ころりに頼んでおくしかないから、理解しておいてよ」と言った。
この話の為に私を呼んだのか…と思うと心底うんざりした。
母からの話題はどれも嫌な事が多いが、その中でもこの尊厳死の話題が一番嫌い。
私はまだ学生の頃から、母に
「早く死にたい」「この世に未練はない」「いっそ死のうかと思った」
そんな言葉を何度も聞かされた。
その頃には腹が立つよりも、「お母さんが死んじゃう。私が守らなくては」と心から思っていた。
それが何年も何年も過ぎ、母の死にたい話を聞き続けているうちに腹が立つようになった。鬱陶しい。
安楽死が理想だけど、それが無理なら尊厳死。
それを必死に私に訴える。
分かってる?ちゃんと理解してる?希望通りにしてね、と。
私は重くて重くて叫びたくなる。
―――続きます。
母の「死に方」の話を私が軽く聞き流そうとしたり、鬱陶しそうな返事をすると、母はますます興奮する。
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