落ち込んだ時には他人にアドバイスするなら?と考える

精神病院で認知行動療法を受けている。
先日は自分がどんな時に落ち込むか?その時どんな考えなのか?その理由は?
などを考える指導があった。
それで私は普段落ち込みが酷くなる時の事を書いた。
漢字が出てこない
ちなみに認知行動療法では、いつも渡された用紙に指示された事を記入していく。
これが…正直困る。
パソコン生活に慣れているので、文字を書くという事がほとんど無いから。
外で仕事をしていた頃でも、文字を書くのは決まりきった単語ばかりで、それ程困る事はなかった。
だがこうして普段書き慣れていない文章を書こうとすると…漢字が出てこない。
何となく浮かぶが書けない。
書けたとしても自信なし。
この認知行動療法が進むにつれ、内容よりも私はこの漢字を書く事にプレッシャーを感じている。
他人にアドバイスするなら
そして何とか落ち込む過程について記入したのだが、その出来事を違う捉え方(考え方)をする方法をアドバイスされた。
いくつかあったのだが、「そんなの分かっているよ」と思う事もあれば、参考になる事も。
私が「なるほど」と思ったのは、「他人にアドバイスするならと考える」という方法。
私が落ち込んでいる事を、もし他人から相談されたら?
きっとその時には共感しつつも、相手を励まそうとしてその出来事の中の良い面を探そうとする。
「そこまで心配する程ではないかもしれないよ」
「相手は深い意味で言ったのではないかも」
「過ぎてみればあっという間だよ」
そんな言葉で何とか相手の気持ちを楽にさせようと頑張るだろう。
ネガティブな自分にブレーキをかける
物事の良い点を探す。
良い点が無くても、少しでも気持ちが軽くなれそうな方向を見てみる。
他人に対しては自然とそういう考え方が出来る。
だが、いざ自分の事となると、どんどんネガティブになり、自分で自分を追い詰めてしまう。
また辛いのでは?
また怖いのでは?
またパニックになってしまうかも。
そんな不安ばかりが膨らみ、「何とかなるわ」「考えても仕方がない」という風にはなかなか思えない。
だから辛さや不安を感じた時、他人にアドバイスするなら?と考えるのが良いらしい。
簡単なようでなかなか出来ないが、一人で沼にハマっていくのではなく、ブレーキをかける事は出来るかもしれない。
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