過去になる
――前回の続き。
私は坂井さんの下に付き、ほぼ二人で組んで仕事をする事になった。
しかし、企業自体はブラックでどうしようもない状態だった為、いくら二人で遅くまで残業してもなかなか仕事が減らない。分からない案件が出れば二人で勉強し、問い合わせ、顧客先にも何度も出向いた。
顧客に怒鳴られて涙した事も何度かあったが、坂井さんは私を慰めるのではなく、冷静にどう対処すべきなのかを的確に指導してくれた。坂井さんは当然私とは比較にならない程の知識を持ち、私に色々な事を指導して下さり、本当に勉強になった。
忙しい日が続き、深夜を過ぎても黙々と二人で仕事をこなした。
坂井さんは年上の男性だが、異性という事を全く意識させない、私にとってはどこか父親か友人のような存在だった。
しかし、時には私達に嫌味を言う社員や、私と坂井さんの事でくだらない下品な噂をたてる人もいたが、坂井さんはそれに対しても上手くかわし、私と社員の橋渡し役にもなってくれた。
仕事内容は本当に大変であったが遣り甲斐があり、それが認められ、自分自身も学べるという私にとっては珍しく理想的な職場であった。
しかし私は期間限定の派遣であったし、坂井さんもその仕事が一区切りついた所で退職する事になっていた。
なので、私と坂井さんは同じ時期にその企業を去る事となり、それ以来会っていなかったのだ。
「坂井さん、どこかでまた再就職されたのですか?」と聞くと、「うん、以前から知人に一緒にやらないかと声をかけられてたから、今はそこでね」と笑った。
続けて「ころりさんもまたどこかで頑張ってるのでしょう?」と聞かれ、急に私のテンションは下がった。
まさか何年も引きこもっていたとか、今はまともに働いていないとか……恥ずかしくて情けなくて言えなかった。でも坂井さんに嘘をつくのは気が引けた。
「ちょっとあれから体調を崩してて――しばらく働けていないんです」と私は静かに言った。
「そうか、それは残念だね。でもまたそのうち良くなれば働けるだろうし、今はゆっくり休んでまた頑張ればいい。ころりさんなら大丈夫だよ」と言って優しく笑った。
あまりに優しいその口調と気遣いに、胸が熱くなった。
こんな人と一緒に働けたらどんなにいいか。
どこまで私の状況を察したのかは分からないが、続けてこんな事も言っていた。
「人生って誰でも色々な時期があるしね。良い時も悪い時も。」
* * * * * * *
その後の時間は、そのブラック企業の現在の噂話に終始した。
しかし、ひとしきり話し終えると、もうこれ以上話題がない事に気付いた。きっと坂井さんも同じように感じただろう。
考えてみたら、共に働いていた頃は、よく一緒に残業したり食事したり、長い時間を共有する事が多かった。しかし常に会話は仕事や職場環境の話ばかりで、プライベートな話題はほとんどしなかった。
そうして、丁度坂井さんが乗る電車の時間がきた為、「それじゃ行くよ」と坂井さんは立ち上がった。
「また今度電話するよ。一緒に食事でもして昔話でもしましょう」
と言って手を振りながら行ってしまった。
きっと連絡はないだろう。その方がいい。
もしまた会ってもこれ以上話す事は何もない。
それに、私が前に進んでいない限り、自己嫌悪に陥るだけだ。坂井さんに情けない自分を知られたくなかった。同情もされたくなかった。
駅から外に出ると、あれだけ降っていた雨が嘘のように止んでいた。
私は再びバス停に向かった。少し寂しい足取りで。
「そうか、それは残念だね。でもまたそのうち良くなれば働けるだろうし、今はゆっくり休んでまた頑張ればいい。ころりさんなら大丈夫だよ」と言って優しく笑った。
あまりに優しいその口調と気遣いに、胸が熱くなった。
こんな人と一緒に働けたらどんなにいいか。
どこまで私の状況を察したのかは分からないが、続けてこんな事も言っていた。
「人生って誰でも色々な時期があるしね。良い時も悪い時も。」
* * * * * * *
その後の時間は、そのブラック企業の現在の噂話に終始した。
しかし、ひとしきり話し終えると、もうこれ以上話題がない事に気付いた。きっと坂井さんも同じように感じただろう。
考えてみたら、共に働いていた頃は、よく一緒に残業したり食事したり、長い時間を共有する事が多かった。しかし常に会話は仕事や職場環境の話ばかりで、プライベートな話題はほとんどしなかった。
そうして、丁度坂井さんが乗る電車の時間がきた為、「それじゃ行くよ」と坂井さんは立ち上がった。
「また今度電話するよ。一緒に食事でもして昔話でもしましょう」
と言って手を振りながら行ってしまった。
きっと連絡はないだろう。その方がいい。
もしまた会ってもこれ以上話す事は何もない。
それに、私が前に進んでいない限り、自己嫌悪に陥るだけだ。坂井さんに情けない自分を知られたくなかった。同情もされたくなかった。
駅から外に出ると、あれだけ降っていた雨が嘘のように止んでいた。
私は再びバス停に向かった。少し寂しい足取りで。
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