購入する罪悪感と悔しさ

勢いで決めてしまったのではないか…
本当にこれで良いのだろうか…
ペットショップで飼うと伝えたものの、帰宅後もまだ悩み続けている。
そしてそこから何と2時間近く、店の駐車場の車の中で、店が閉店する間際まで話し合った。
すぐに引き渡しをされなかった事で、良くも悪くも考える時間が出来てしまった。
だからといって夫の気が変わらない限り、キャンセルする事はないだろうと思う。
あの子を見た瞬間、心を動かされたのは確かだ。
しかし…
私はこの期に及んでまだネットで別の子犬を見てしまう。
あのペットショップの子を迎える為に、ケージを用意しなくては。トイレや食器も。
フローリングでは滑るのでマットを敷き詰めたり、最初は行動範囲を狭くする為に部屋をフェンスで囲ったりしなくては…。
早く準備するべきだと思うのに、心があのペットショップの子よりも、まだ愛犬の事ばかり考えてしまう。
あの子は愛犬の生まれ変わりだろうか?
もしかしてもっと似ている子がいるのでは?
結局私の心の中は愛犬でいっぱい。
それがあのペットショップの子に申し訳ない。
さらに、ペットショップで「買う」という事への罪悪感と悔しさ。
元々私はペットショップで犬猫を販売するという事に反対だ。
海外のようにブリーダーやシェルターから譲り受けるのが理想だと思っている。
今回も出来ればいつか保護犬を迎えたいという気持ちがあった。
だがその一方で、愛犬への想いが強過ぎて、同じ犬種ばかり求めてしまう。
長く一緒にいる為にも子犬を迎えたいし、となると同じ犬種の子犬は保護犬にほとんどいない。
なので漠然と、迎えるならブリーダーからになるかも…と思っていた。
それも可能であれば、愛犬のブリーダーに連絡し、愛犬と血が繋がる親戚犬がいれば嬉しい。
少しでも愛犬を感じたいから。
だがそんな事に拘る意味がある?
いつか惹かれる子と出会えれば、それで十分ではないか。
そんな思いがグルグルと日々迷っている中で出会ったのがあの「似てる子」だった。
ペットショップへの批判の気持ちがある中で、それでもそこで「購入する」という事に罪悪感と悔しさがある。
だがそこにいる子犬には何も罪もなく、同じ命に変わりは無い。
※たくさんのコメントありがとうございます。
コメントの最初の一言に「良かった!」と書いて下さった方が何人もいて、皆さん自分の事のように喜んで下さり気持ちが温かくなりました。それなのに今回はこんな記事ですみません。
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