散歩
時々犬との暮らしの事を記事にすると、「いいですね、私も飼ってみたいです」というような内容のコメントを頂く。以前も散歩中に出会った人の事を書いたら、「犬を飼う事でそういう出会いがあるのが理想」というようなコメントも頂いた。
確かに私は犬と暮らす事によって多くの幸せをもらっている。
私も以前は、近所で犬友が出来ればいいなと、小さな夢を持っていた事もあった。
もし気心が知れたら、お互いの家で犬を連れて一緒にお茶しながら犬談義に花を咲かすなんて楽しそうだ。
しかし、私にはそんな友人に繋がる出会いはなかった。
確かに、以前散歩中に出会った女性がいて、とても素敵な人であった。
もし友人関係になればいいなと思っていたが、お互いそこまで踏み込めず、あちらの犬が高齢だった為かいつの間にか散歩で見かけなくなった。
散歩中に出会った人と友人になるには時間と積極性がいると実感した。
そもそもそんな風に出会う事自体が珍しく、通常は見慣れた常連の散歩メンバーとすれ違う程度。
うちの近所ですれ違うのは、ほとんどが自分の親世代の人の為、こちらも「会話をしてみたい」という欲望もわかず、いつも軽く会釈をする程度であった。
それでもいい。友人を作る為に犬を飼った訳ではないのだから。
そう思いながら、愛犬の笑顔を見ながら日々散歩を楽しんでいた。
しかし数年後、うちの地域に新たな分譲地が広がり、20代~30代の若い世代が次から次へと引っ越してきた。
その家庭のほとんどが幼稚園児から小学生の小さな子供がおり、また犬を飼っている人も多いようだった。
私はいつもの散歩コースで若い母親とすれ違うようになり、少し嬉しかった。
不思議なもので、もし犬を連れずに自分一人で歩いていて、同じように若い母親と会ってしまったら、咄嗟に「嫌だな」「苦手だな」と感じる。出来れば目を合わさず気付かぬフリをしたいぐらいだ。
しかしなぜか、お互いが犬連れだと、犬を通して会話してみたくなるのだ。
こんな私でも誰かに近づこうとさせてくれる犬の力って本当に不思議。
それも、いつも道路で若い母親達を見かける時には大抵が集団なので、当然こちらは逃げるように立ち去るだけ。
だけど犬の散歩中は必ず相手は一人なので、一対一だと気が楽だ。そういう点でも「話してみたい」という気持ちにさせるのかもしれない。
ある日、私はいつも会う若い母親に挨拶してみた。
「こんにちは」
ただそれだけ。
もしこの相手が、いつも会う年配のオバサンなら「こんにちは!暑いねー!」と元気に反応がある。こちらが黙っていても相手からベラベラと話し始める。
だがその若い母親は違った。
一瞬チラッとこちらを見たが、会釈したのかどうか分からないぐらいの反応で、足早に犬を引っ張って行ってしまった。
その日だけでなく、別の日もこちらから会釈してみたが、やはりほとんど無視のような状態であった。
そもそも私の事なんて知らないだろうから、自分に関係しない人と関わりたくない、そんなオーラが漂っていた。
それとももしかして嫌われてるんだろうか。
「あの人、子なしで引きこもりよね」と悪い噂をされているのだろうか?と負の想像が働く。
その後、同じように散歩をしていたらまた彼女を見かけた。
同年代の若い母親同士、3人で犬を連れて楽しそうに会話していた。
私が出会う時のような、少し怒っているかのような表情ではなく、本当に優しく笑っている。
ふーん、普段はあんな風に笑うんだ……。
やはり彼女は引っ込み思案とかではなく、単純に私と関わりたくなかったんだと知った。
彼女だけではない。
他にも同じように散歩中に出会う若い母親が何人かいるが、皆なぜそんなに急いでいるの?と思うぐらい、無言で無表情で足早に犬を引っ張っている。
普段はあんなに友好的にママの輪を作っているのに、犬友の輪は作りたいとは思わないんだろうか。
残念というよりは、より一層彼女達には近寄り難いという気持ちになった。
ママ友の結束力の強さが怖い。
もう今では散歩中に若い母親とすれ違っても私も挨拶さえしない。無言で通り過ぎるだけ。
これなら以前のようにオバサンだけの散歩道の方がずっと良かった気がする。
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