思い出の子にならないで

昨日、夫とペットの話しになり、その流れから夫が愛犬の事を言った。
「僕はやれるだけの事を十分やったから、あの子は幸せだったと思う」と。
私はなぜか心がモヤッとした。
夫と一緒になり、「そうよね、私達はやれるだけの事は十分やったわよ」と手を取り合って笑い合う事が出来ない。
私はむしろ、
もっとこうしてあげたかった
もっと出来た事があるはず
という思いがいつまでも消えない。多分この先もずっと消える事はなく、ずっと思い続けると思う。
それはほんの些細な事ばかり。
ずっとこちらを見つめていたのに、無視してパソコンをしたりテレビを見たり…。
留守番が苦手なのに置いて出掛けてしまったり…。
それは人と暮らせば仕方のない事。
ある程度はこちらの生活に合わせる事を覚えさせないと、ただのワガママ犬になってしまう。
言い訳のようにそう自分に言い聞かせ、愛犬を蔑ろにした瞬間が無かったとは言えない。
今になってその一つ一つを思い出し、愛犬の訴える瞳が頭から離れず、胸が苦しい。
ごめんね。
ワガママでもいい。もっともっと愛犬が笑う瞬間を増やせたはずなのに。
その想いが強過ぎて、夫のように「十分やった」とは思えない。
それを夫に言うと怒られた。
「どうしてそう後ろ向きなの?僕の気持ちまで落とすなよ」と。
「折角二人で前向きに暮らしていこうとしているのに、ころりの気持ちに合わせていると、いつまでもウジウジと泣いて暮らさなければならない」と言い、夫は感情が高ぶり泣いていた。
私もまた蓋をしていた気持ちを開けてしまい、涙が止まらなくなった。
夫の言うように、「私達はよくやったよね。あの子は幸せだったよね」と笑って話すのが正解だと思うが、何だかそうする事で愛犬が「思い出の子」になってしまうようで、なかなか受け入れられない。
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