1万円貸すぐらいなら同居する

何年かぶりに連絡があった友人と会った。
彼女を見た瞬間、あまりの変貌ぶりに驚いた。
老けたのはもちろん、体が2倍…いや3倍ぐらい大きくなっていた。
だがきっと彼女から見た私も同じ印象だっただろう。
この年齢にもなればあちこち弛んで老いを感じるのも当然か。
何年かぶりに知人からメールがきた。
会う前には会話が続くだろうか、気まずくならないだろうか…と心配していたが、お喋りな彼女が次々と会話を提供してくれる為、そんな心配は無用だった。
と言っても、今回は終始彼女の愚痴を聞いていたような気もする。
確認した訳ではないが、突然私に連絡をくれたのも、こういう愚痴を誰かに聞いて欲しかったのだろうと思った。
「たくさん相談相手がいるでしょう?」
会話の途中でそれとなく聞いてみたが、「ママ友なんて子供が大きくなったら疎遠よ」と言ったり、「子供同士の仲が良いから、家庭の事って相談しづらくて」と、本音で相談したり愚痴れる相手がいないようだった。
連絡を貰った時には、「勧誘か販売か…」と疑ってしまったが、こうして会ってみると申し訳なく思った。
だがその一方で、やはり長年生きてきた世界が違い過ぎて、価値観や考え方に大きな差を感じた。
昔一緒に働いていた頃には、価値観が似ている相手として見ていたのに。彼女も私も変わったのだろう。
ある時、彼女は義母に「病院代を貸して」と言われたらしい。1万円。
彼女は断ったと言う。
まずそこに私は驚いた。
確かに義理の親からお金を貸してと言われたら良い気はしないが、私なら1万円だと断れないと思う。
その時に持ち合わせていなくても、きっと銀行やコンビニに出金に行く。
しかし彼女はそういう問題ではなく、「一度貸すと癖になるから」と言っていた。
確かに。
私もこれが義親ではなく、近所の人や他人なら絶対に貸さない。しかし義親となると…難しい。
さらに状況にもよる。
彼女の場合、義親は長男夫婦と同居しており、彼女は次男の妻なので普段は一切介護負担する事がないと言う。介護面でも金銭面でも。
それを聞いて「それなら尚更」と私は思った。
時々会う義母に、たまたま「貸して」と言われたなら、「それぐらいで済むなら」と私は思う。
なぜ持っていないの?長男夫婦から貰えば?と追及するのも避けたい。下手に足を突っ込みたくないから。
彼女の言うように、それぐらいで済むのか、それが癖になりその後も続いてしまうのかは分からない。
だがこれまでお金を貸してと言われた事も、貸した事も無いと言うのだから、私ならこういう時に1万円を貸す事で、「一応自分も嫁として協力しています」と思える方が、介護をしていない罪悪感が軽くなるような気がした。貸すのではなく、あげるのでもいい。
私は彼女に言った。
「頻繁に会うぐらいなら、毎月でも1万円渡して会わずに済む方が楽じゃない?」
すると彼女は言った。
「1万円渡すぐらいなら、同居する方がマシ」
私はそうは思えない。食費や光熱費を削ってでも、会わないで済む方がずっと楽だと思うけど。
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