いつか処分するのは私の仕事

今朝早くから、実家の母からラインが届いた。
「雛人形を片付けるから来て」
私が断る事を前提としていない。来るのが当然だと思っている。
「一人で片付けられないの?」と返信すると、「無理だから」と返ってきた。
自分一人で片付けられないのなら、どうして毎年出すのだろうと思う。
さらに母は毎年、「雛人形を出しました」と友人や知人に連絡をする。
すると連絡をもらった人達は、わざわざ雛人形を見る為にうちの実家に来てくれるのだ。
だがさすがに今年は誰も呼ばなかった様子。
実家に行き話を聞くと、結局我慢できずに知人達には電話をして回ったようだが、「コロナ禍だから今年は報告だけね」と言い電話を切ったらしい。
そんな電話を貰った側はどんな気持ちなのだろうと思う。
「いい加減処分しようよ。私も毎年片付ける為に来るのはしんどいわ」
私が母にそう言うと、「私が死んだ後に処分してくれたらいいわ」と言う。
そう言われて思った。
実家には物があふれている。
使用してない部屋には物や家具が山積みで、ほぼゴミ屋敷のよう。
今や若い世代でも断捨離をしているというのに、母のような年齢なら尚更物を減らしていくべきでは?
なのに母は、「あれもこれもまだ使える」と、いつ使うのか分からない物に埋もれて生活をしている。
いつの日か、あれらを処分するのは私の仕事になるのだろう。
想像するだけで疲れそう。
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