作り話のような現実

昨日の記事について、「作り話か?」というコメントを頂いた。
私の家でお茶を飲みながら母が言い始めた。
長年ブログをやっていると色々なコメントを頂くので、その一つ一つを気にしていたらここまでブログは続かない。なので私は基本的にこういうコメントに対して抵抗力がつきスルー出来る。
しかしこのコメントに関しては、シクシクと感じるものがあった。
作り話だと疑われた事に落ち込んでいる訳ではない。
私と母の関係が、常識で考えればあり得ない関係なのだ…と再認識したのだ。
父からの手紙を母に渡す。
これが普通の事なのか、異常な事なのか、よく分からなくなっていた。
昨日書いたように、手紙を奪われた時には気持ち的にとても気分が悪く落ち込んだのだが、その反面、母の気持ちを思うと「きっと母も寂しいのだろう」と納得しようとする自分がいた。
母も父から自分宛の手紙が欲しかったに違いない。
ただ母も寂しいだけなのだ。
だがそれを素直に私に言う事が出来ず、こんな方法でしか気持ちを抑えられない。そんな人。
私にとっては、「寂しいから手紙を貰ってもいい?」と素直に言ってくれた方が、どれ程心地が良いだろう。
だが母に「欲しいの?」と聞いたところで、「私が欲しい訳じゃない。共有する為」と自分なりの言い訳を聞かされるだけ。
母は自分の弱みを絶対に他人に見せない人だから。
以前どこかで、犬の習性について聞いた事がある。
犬を一定期間檻の中に入れて二人で育てた話。
一人はその犬に暴力を使って従わせ、もう一人は愛情をもって優しく躾けようとした。
犬はどちらの方に従ったか?
結果は悲しくも、暴力を振るう方への方が従順だった。
暴力の度合いやその状況にもよると思うが、犬は恐怖心から、より強い者に従う習性があると言う。
一般的に正しいとされる犬の躾とは真逆で、それを聞いた時には胸が痛んだ。
確かに恐怖心から萎縮してしまい、何をされても従うかもしれない。
虐待される動画などでも、痛くて怖いことをされると分かっていても、全く反抗せずにされるがままの姿が見るに堪えない。
私は母の事が怖い。
なぜ怖いのか、どうして言いたい事が言えないのか、どうして従ってしまうのか…この関係で何十年も過ごしてきた今、どう変われるとは思えない。
母がこの先いなくなった時、私は自由になれるのか、もしくはポキッと心が折れてしまうのか…それも分からずにいる。
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