いのちの電話
以前の職場に、とても気の短い女性社員がいた。
50代の女性社員であったが、とにかく男っぽく荒っぽい。
常に自己中心的であり、フォローのしようがないぐらいワガママ放題。
私達他の社員も、いつも機嫌を伺いビクビクするしかなかった。
そんな彼女がある日、「今日は定時に帰るわ、ボランティアがあるから」と言った。
皆顔を見合わせた。
ボランティア?いったい誰が言っているの?という程、彼女のイメージからは似つかわしくない言葉だった。
いやいや人を偏見で見てはいけない。彼女も実生活では別の側面があるのかもしれない。
一人の社員が勇気を出して彼女に聞いた。
「何のボランティアですか?」
「いのちの電話よ」と彼女。
私は衝撃を受けた。
いのちの電話といえば、生きるか死ぬかの瀬戸際の人間からのSOSだったりするのでは?相手の話をじっくり聞き、受け止める役目ではないのだろうか?
いつも私達が話しかけるだけで、「うるさいっ!」と怒鳴っている彼女がそんな事をしているとは想像出来ない。
社員が続けて聞いた。
「なぜやっているんですか?」
「私ってほら、人を立ち直らせるのが上手いじゃない?」
……聞いていた全員絶句。
私は勝手にイメージしていた。いのちの電話のボランティアをするぐらいの人は、人格的にも優れており、心に余裕がある人だろうと。
この女性社員の人格評価まで出来ないが、明らかに私のイメージするそれとは違っていて驚いた。
案外、彼女のように誰にも流されず強い心を持った人だからこそできるボランティアなのだろうか。
いのちの電話といえば、生きるか死ぬかの瀬戸際の人間からのSOSだったりするのでは?相手の話をじっくり聞き、受け止める役目ではないのだろうか?
いつも私達が話しかけるだけで、「うるさいっ!」と怒鳴っている彼女がそんな事をしているとは想像出来ない。
社員が続けて聞いた。
「なぜやっているんですか?」
「私ってほら、人を立ち直らせるのが上手いじゃない?」
……聞いていた全員絶句。
私は勝手にイメージしていた。いのちの電話のボランティアをするぐらいの人は、人格的にも優れており、心に余裕がある人だろうと。
この女性社員の人格評価まで出来ないが、明らかに私のイメージするそれとは違っていて驚いた。
案外、彼女のように誰にも流されず強い心を持った人だからこそできるボランティアなのだろうか。
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