二人三脚だった世界

昨日の記事に対し、
「こんな時に娘に来させようとする親が信じられない、会うべきではない」
というコメントがある一方、
「老人は外に出すべきではない、買い物ぐらい行ってあげて」
というコメントもあり、本当に人それぞれ考え方、感じ方、様々なのだと思う。
実家の母から電話があり、またいつもの母らしい言い回しが始まった。.
そもそも、私は母が嫌いだ。
子供の頃から20代半ばまで、ずっと母が私の全てであり、大好きだと思っていた。
兄や父とはそれ程会話もせず、私と母だけの世界があった。二人三脚で生きてきた。
母の喜ぶ姿が見たい。
母が望む事をしてあげたい。
ずっとずっとそれだけが私の生きる目的だったと言ってもいい。
母と喧嘩をした事がなく、母の前で泣いた事も怒った事もない。
母はいつも口癖のように、「ころりだけが私の見方、ころりだけが理解してくれる。他人に私の気持ちは分かってもらえない」と言っていた。
それが母に認められているようで、私はますます母の望む娘になろうとした。
だがそうしているうちに、いつの間にか母の望む自分と、本当の自分との落差を感じ始め息苦しくなってきた。
そしてアラフィフにもなった今、母の声を聞くだけで吐き気がするまでになってしまった。
最近は実家に行っても目を合わせられない。どう合わせていいのか分からない。
「母が嫌いだ」
こう何度も書いてみるが、何か違う。
心の奥底に嫌いになりたいのになりきれない自分がいて、いっそ嫌いになれたら楽なのに!と叫んでいる。
嫌いになりきれないけど恨んでいる?憎い?
どう書いてもしっくりせず、この気持ちをどう表現すればいいのか分からない。
今回の事もコロナがどうこうというのは二の次であり、理由はどうであれ何かと言えば私を「家族」扱いする母から解放されたい。
母の言い分では、コロナ騒ぎの中、他人と会うのは極力避けるべきだけど家族は別。
私が夫と毎日会っているように、母も私と頻繁に会うのは家族だから当然だと思っている。
私はふと思い出した。
母は祖母の事を憎んでいた。
「母親に愛情を感じた事はないわ」といつも私に話し、祖母に罵倒を浴びせる事もあり、私は子供ながらに祖母が可哀想に見えた。
だが母は母なりに子供の頃から愛情に飢え、祖母に対する憎しみにも似た感情があったのだろう。
やはりACは連鎖だと思う。
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