子供に何かしてもらおうなんて期待していない

昨日の記事を書いていて思い出したが、いつだったか実母が私に言った。
「ころりに何かしてもらおうなんて思っていないわ」
さらに続けて、
「今後も何かしてもらえるなんて期待もしていない」と言った。
これを聞いた時の私はモヤッとするものを感じたが、なぜ嫌な気分になるのか自分でも自分の心がよく分かっていなかった。
一方、母の方はこれを捻くれて言っているのではなく、嫌味で言っているのでもない。
「どう?子供に負担をかけない時代に合った母親でしょ?」と私にアピールしているのだ。
その証拠に、「私は期待してない」と言った後、自分の友人の話を始め、
「あの人は考え方が古いから、老後は子供の世話になるって言ってるのよ。そんな事言っていたら子供に嫌われるのにね」
と言い、さも自分は違うという表情をしていた。
だが私は思う。
頻繁に私に電話をかけてきて、こうして近所の人や友人の話を長時間聞かされているのは何なのだ?
話を聞いてもらっている=何かしてもらっている
とはならないのか?
時には、その話の中で「よく分からない書類が届いた」とか、先日のように「携帯で撮った写真をポスターにしたい」だとか、気軽に私に頼む事も多々ある。
(▶老人の介護と甘えの境界線)
又、母が日帰り手術をした時には、「付添の人も一緒に来て欲しいらしい」と当然のように私に連絡してきた。
これらの事は母にとって、「してもらっている」事に入っていない。
些細な事だから。それぐらいの事だから。
だが、昨日書いたように、子供がいない場合はそんな些細な事さえ言う相手がいない。
(▶子なし主婦の老後問題)
それが母には分かっておらず、私が時々「私なんて老後に頼る相手はいないのよ?」と言うと、「今の時代、子供がいてもいなくても同じよ」と返ってくる。
実の母なのに娘の心情を理解してくれない事に苛立つ。
だが娘だから逃げる事は出来ない。ただ義務を果たすしかない。
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