老人の介護と甘えの境界線

実家の母から電話があった。
頼みたい事があるから家に来て欲しいと言う。
「頼みたい事って、何?」
私が聞くと、「簡単に説明出来ないからとにかく家に来て」と言う。
電話では言い辛い事なのか?
何か厄介な事を頼まれたらどうしよう…と憂鬱な気分で実家に行った。
すると母は自分のガラケーを私の目の前に出し、
「この中に入っている写真をポスターにして欲しいのよ」と言った。
はぁ?何をまた面倒な事を…。
そんな事で私をわざわざ呼び寄せたのかと思うと鬱陶しくなり、私は言った。
「私にはそんなやり方分からないわよ」
本音を言えば分からないと言うより、介護以外で無駄に母と関わりたく無かった。
それに、「私は老人だ、一人では何も出来ない」と言い、何かと私に寄り掛かろうとする母。
しかし本当に介護が必要な程の老人が「写真をポスターにして」なんて言い出すだろうか。その発想自体がまだまだ若いと感じる。それなら自分で何とかすればいいのに。
だが母は言った。
「出来るはずよ。友達の娘さんが出来るって言ってたから。その娘さんが印刷してくれるって言ってくれたんだけど、それぐらいなら私の娘が出来るので大丈夫と言って断ったのよ」
…あぁ、嫌な気分。
どうして母が、「それぐらい」と判断出来るの?どうして勝手に「娘がやります」と決めてしまうの?
イライラする。
しかし一方で、普通の娘ならこれぐらいの事でイライラせず、母が望むようにしてあげるのだろうと思う。
なので母に反論する事も出来ず、優しくなれない自分と葛藤する。
「…分かった。一度やってみるわ」
気持ちを抑えつつ私がそう言うと、さらに上乗せする事を母は言った。
「あとね、動画も入っているからテレビで見られるようにして欲しいの。DVDに保存してよ」
……やっぱりイライラする。
母の言う「私は老人だ」という言葉と、母の指示するデジタルな内容が一致しない。
少なくとも私が老人になれば、人に世話をかける一つ一つに気を遣う。写真や動画も今見られる環境で見られたらそれでいい。
そんな事よりも食や健康面でどうしても世話にならなくてはならない事があるだろうから娯楽面では遠慮したり諦めたりする事が多くなると思う。
老人だから諦めろというより、自然とそうなっていくような気がする、私の場合。
だがこんな事を言えばどれ程母が激高するか…。老人の気持ちが分かっていない!と、老人らしからぬしっかりした口調で説教されるだろう。
老人って何?分からなくなる。
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