祈り
――――前回の続き。
そのブログの最新記事はその日であり、私は彼女がまだブログを続けていた事に胸を撫で下ろした。
ひっそりとしたブログで、どちらかというと彼女の独り言のようなブログだった。
しかしそれが彼女にとっての吐き出しの場所らしく、私とのメールとは違い、心の内が赤裸々に綴られていた。
そして現在白血病であり、日々の闘病生活の辛さが詳しく、そして悲しく語られていた。
また、驚いた事に彼女も私と同じく長年鬱病を患っていた事を初めて知った。
メールでやり取りをしていた頃には、そんな話題は全くなく、そんな雰囲気も感じなかった。
しかし人の事は言えない。私もまた彼女に対しては鬱病を隠していたし、彼女も気付かなかっただろうから。
でももしお互いがその事を打ち明けていたら。
何か関係が今とは違っていたのだろうか。
そんな事を思いながら、彼女の文章を読み進めた。
読みながらも、まるで覗き見している様で罪悪感があった。
もし彼女に知られたら嫌われるだろう……そう思いながらも彼女の事が気になり、それからも訪問をやめられなかった。
そのブログは訪問者も少ないように見え、コメントがほとんどなかった。
しかし、ごくたまにコメントを残してくれるブロ友もいる様で、彼女が落ち込んでいる時などは励ましのコメントが残されており、それを読んで勝手に私までホッとした。
とても辛い記事なのに誰からも反応がない時などは、私はパソコンの前で「お願いだから誰か彼女を励まして」と、お節介な気分になった。
一度だけ、どうしても一言伝えたくて私もコメントした事がある。
彼女が、このまま一人ぼっちで死んでいく気がするという内容の記事を書いた時だ。
私は以前からの読者ですというフリをして、「いつも読ませて頂いています。これからも応援しているし、病気がよくなる事を祈っています」というような事を書いた。
それ以上何も出来ない自分が虚しく思えたし、またどこかで彼女の状況が他人事ではないように思えて辛かった。
私が同じような病気になるかどうかは別として、彼女が一人ぼっちで苦しんでいる、という事実が胸に迫った。
私は夫という存在が今は支えになっているが、夫がいなくなれば完全に孤独であり、夫への依存が深いからこそ、それを失う事への恐怖心は強い。
もし彼女と同じ状況になったら耐えられる自信はなかった。
だが、意外な事に彼女と夫の関係が変わりつつある様だった。
病気になり最初は迷惑がっていた夫も、彼女の病状が悪化し命に関わる状況になればなる程、夫がどんどん優しくなってきたというのだ。
毎日足繁く病院に通ってくれて、欲しいモノは無いか?と優しく聞いてくれる。
それが彼女は嬉しいと。病気になって良かったのかもしれない、とさえ書かれていた。
そんな彼女の想いが切なかった。
それから彼女は骨髄移植に成功し、退院。
しかし、しばらくしてから再発し、何度か入退院を繰り返した。
私は定期的に彼女のブログをチェックした。
元気そうであれば安心し、「もう心配ないのかも」と、しばらくブログ訪問を忘れる日々もあった。
だが、ある日を境に彼女の病状がどんどん悪くなっていった。
彼女の文面からは、もう明るさや希望は全くなくなっていた。
彼女は歩くことも、食事を普通にする事さえも出来なくなった様だった。
ブログの更新頻度も落ち、滅多に更新しないからか以前は時々きていたコメントも誰もなく、この彼女の声を聞いているのは私だけなんだろうか?とただただ悲しかった。
長期間更新がない時は悪い事を想像してしまい不安になったが、半年ぶりに更新があった時などは心底ホッとした。
ただ私は静かに遠くから見つめるしかなかった。本当はこんなに近くに住んでいるのに。
そして最後の記事。
医師から余命宣告を受けた事が書かれていた。
* * * * * *
あれから随分月日が流れたが、今もブログの更新はされていない。
今でも時々そのブログを覗いてみるが、怪しい宣伝のコメントが増えるばかりで彼女のブログはもう息をしていないかの様に感じた。
でもどうか、彼女が今でも生きている事を願わずにはいられない。
そしてそう願っている人がここに一人いる事を、彼女に伝えられたらいいのに。
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