私は想われていると声に出す悲しさ

実家の母から電話があった。
「元気なの?連絡がないから心配していたわよ」
そう言う母とは一週間前に話したばかり。
どれ程頻繁に連絡を取れば納得するのか。
「老人は自分から子供に電話をするのは勇気がいるのよ。だから私は自分の親に頻繁に連絡していたわよ」
この言葉も聞き飽きた。
母は私に教え諭そうとする。
そのうち母は兄の子供から菓子が送られてきた事を話し始めた。
兄の子供達は毎年敬老の日に母に菓子を送ってくる。
それを母は毎年嬉しそうに私に話す。
「気を遣わなくていいって何度も言ってるのに。あの子達は気が利くから」
と、喜んでいる母に水を差すつもりはないが、実際この菓子は孫ではなく、兄の妻が購入して送ってきていると私は思っている。
兄の妻はそういう事にとてもきっちりしているのだ。
母の日や誕生日にも欠かさず母にプレゼントを送ってくる。
そんな義姉なので、敬老の日に何も気付かないはずがない。
そして敬老の日に送られてくる菓子には、手紙が入っている訳でもなく、ただ包装された菓子が孫の名で送られてくるだけだ。
さらに、母が礼の電話をかけると、いつも「出かけているから伝えておきます」と義姉に言われるらしい。
そして何年か前からは、「お義母さん、これからはわざわざお礼の電話は結構ですから」と義姉に言われたと言っていた。
それ以来、母はイベントごとに送られてくる贈り物に対する礼の電話をしなくなり、その代わりにメールで礼を伝えているらしい。
それでも母は、「ばあば、ばあばって、いつまでも想ってくれるのは嬉しいわ」と言う。
もう数年以上も会っていないのに?
兄の妻も、孫達も、何年も母の元を訪れておらず、あちらから電話がかかってくる事もない。
それなのに母が私に、
「子供や孫に想われて私は恵まれている」と言う時、私は母に対して虚しさと腹立ちが入り混じった気持ちになる。
母は自分が愛されていると思いたいだけ。
わざわざ「私は想われている」と声に出して言わなければならない母が惨めに思えた。
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