観ていて苦しくなるほどに

予想はしていたが、昨日の「凪のお暇」、観ていて苦しくなった。
以前からこのドラマで母親との関係が垣間見れたが、最終回に向けたこの後半で母親とのタイトルマッチをもってくる辺り、やはり空気を読んでしまう人間の根源は、母親との関係にあるのかと思った。
今回の話での、母親と向き合い会話をするシーン。
本当に私と実母との関係にそっくりだった。
微妙に違う点はあるが、私の母もあからさまに私に希望を押し付けない。
「あなたが幸せなら私はいいの」「大丈夫、心配しないで」と言いつつ、「私が我慢するしかない」と言ったり、「ころりなら分かってくれるわよね」と言い、その空気に耐えかねた私が母の望む言葉を発するのを待っている。
「私が力になるわ。遠慮しないで」
私は言いたくもないその言葉を、つい口走ってしまう。
「そう?そう言ってくれると思ったわ」
母は満足そうに微笑む。
そんな繰り返し。
途中で葛藤し、時には反発しようと努力もした。それでも結局元の関係に戻ってしまう。
ドラマを観ているとあまりにも共感し過ぎて、息苦しくなった。そしてもし私がドラマと同じシチュエーションになったら?と想像してみたが、何と言い返せばよいのか?どう対応するのが正解なのか?分からなかった。
しかしあまりにも私と母の関係に似ているこのドラマを観ていると、私が今まで苦しいと思っていたこの関係は、世間でもよくある母と娘なのだろうか…と思わされた。特別な事ではない、誰でもある事なのだろうかと。
とすれば、母とは皆あんな風であり、子供も親の望みを感じ取り、それに沿うように生きようと思うのは、誰もが歩んできた道?
しかしどこかの時点で、その親と一線を引き自分の意思を持ち始める人と、どんなに年齢を重ねても、いつまでも子供の頃のまま親の空気を読んでしまう私のような人。
どうして違ってしまうのか。その境界線は?
このブログを書きながらもいつも思う。
仕事関係、義父母との関係、近所との関係。
どの場面でもどうして自己主張出来ないのだろう。もし言葉に出来なくても、心では自信を持てばいい。
それなのに誰と関わっても、自分の感情よりも相手の機嫌ばかりが気になり、自分の考えに自信が持てない。私のせい?私が間違っている?どうすれば納得してもらえる?どうすれば好きになってもらえる?
そんな事ばかり。
そしてそれは全て母との関係に繋がっている。
母に思う事をぶつけられるようになってこそ、他人にもぶつけられる。
母との関係が変わらなければ、きっと他人とも変われない。
私の生き方もドラマのように変化出来ればいいのに。
現実はそれが苦しい。
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