通知表の家族からのコメント
そのアルバムを片付けた時、ある古い袋が出て来た。
(▶アルバムの捨て時)
中を見るとそこには私が子供の頃の通知表が入っていた。
私が結婚した時にアルバムと一緒にまとめて親から渡されたものだった。母は大切に保管していたらしい。
通知表。
現在の子供にもあるのだろうか?子も友人もいない私には知る機会もない。
私は茶色く変色したその古い通知表を取り出した。
家族写真はまだ捨てられそうにないが、通知表ぐらい捨ててしまおう。逆になぜ今まで持っていたのか。過去は出来るだけ捨てたいのに。
通知表は1冊も不足なく、小学1年からどの学年も全て揃っていた。
私はふと小学3年生の通知表を手に取り開いた。
するとそこには教師からのコメントがあり、
「勉強は頑張っています。その調子でたくさんのお友達と遊んだり、大きな声で発言する事も頑張りましょう」というような内容が書かれていた。
私はかすかな記憶を辿り、いつも俯いて人の目を気にしながら過ごした子供時代を思い出した。
根本的な部分は今と全く変わっていない。自分の弱さを自覚している分、今の方がずっと生きづらい人間になった。
そして私は教師からのコメントの隣にある、家族からのコメントを読んだ。
それは母が書いたものだった。
「教師とは何を見ているのでしょうか?もっと個々の良さを見るべきです!娘は明るく笑い友達も大勢います!先生の前でそれを見せられないのは何故でしょうね?考えてみた事はありますか⁉先日私がお話した事も含めて!!!」
私はこの文章を読んで、沸々と湧き上がるものを感じた。
今までこの母のコメントを読んだ事があったのだろうか?記憶にない。子供の頃に読んだのだとしても、よく理解出来なかったのか、どう感じたのか覚えていない。
だがこの年齢になった今、この母の言葉を読み、悔しさで涙が出た。
これなのだ。
この文面に母の自信、主張の強さ、思い込み、娘への期待……それらが凝縮されているように感じた。
家族から教師へのコメントで、これほど感嘆符を使用する母親がいるだろうか。
昔から母はこんな人間だったのだ…と改めて実感した。
そして最後に書いたあった、「先日私がお話した事も含めて」という言葉にもゾッとした。
きっと母は教師との面談でも、自分の主張をぶつけたのだろう。
私はその通知表をビリビリに破り、他の通知表も合わせて捨てた。
捨ててスッキリするかと思っていたのに、心はズッシリ重いままだった。
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