アルバムの捨て時
風呂や毛布は綺麗にしたいと神経質な事を言っている私だが、相変わらずの汚部屋がある。
自分の中での言い訳は、汚部屋と言っても不衛生ではなく、ただ物が溢れているだけ。(と言っても物が溢れていては掃除出来ない箇所が多いのでやはり言い訳か)
そんな汚部屋。
物を捨てては新たな不用品をその部屋に追加し、永遠に物が減る気配がない。
そもそも部屋が狭いから仕方がないのだ!と、これも自分に言い訳している。
先日、その中でアルバムを整理した。
私は自分の写真を撮られるのも見るのも嫌いだ。
景色やお洒落な写真を見るのはとても好きなのに、自分のとなると目を逸らしたくなる。
なので大人になってからの写真はほとんど無い。
昔の職場の同僚と打ち上げや旅行で撮った写真が少しあるだけ。
夫婦で撮った写真も結婚式以来ほぼ無く、考えてみればもう20年近くは自分の写真を撮っていないように思う。
だがなぜかアルバムがたくさんある。
それらは全て子供時代に親が撮った写真であり、家族4人で写っているものもあれば、なぜか私と母が二人で肩を組んで写っている写真も多い。
兄の写真が少ないのはなぜだろう。
年頃になり兄は写真が嫌だと自己主張したのだろうか。
満面の笑みで私を抱くようにして写っている母の顔を見る度、私は吐気と息苦しさを覚える。
だがその写真に写る私はまだそれが嫌だという自覚もなく、嬉しそうな母と一緒に写っている事がどこか誇らしげに見える。そんな自分を見ていると情けなくなる。
アルバムを全て捨ててしまいたい。
だがこれを捨てる事は母の思いを全て捨ててしまうような気がして未だ捨てられずにいる。
私はそれを普段目につかない押入れの奥に片付けた。
どんな奥に片付けても、私の記憶から消える事はない。
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